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ジャワ更紗ー世界に認められたインドネシアの染織物

ジャワ更紗とはどのようなものか

ジャワ更紗とはどのようなものか

(写真出典:写真AC)

インドから生まれた色彩豊かな更紗は、海を渡り世界各国へ進出しました。そして、たどり着いた土地でそれぞれの国の文化や技術に応じたオリジナルの更紗が作られるようになり、今なお様々な用途で使われています。

更紗の概要や、インド更紗については別記事の『更紗の模様をご紹介。日本和更紗と海外とで異なる趣』『インド更紗とはどのような更紗か。技法や特徴などの基本情報をお伝えします』などをご一読いただけますと幸いです。

この記事では、インドネシアの島の一つ、ジャワ島に輸入され今なお発展し続ける「ジャワ更紗」についてお伝えしたいと思います。

 

バティックとして知られるジャワ更紗

紀元前3世紀頃にインドで発祥したといわれている更紗は、16世紀頃の大航海時代の幕開けと共に、インドからヨーロッパやアジアなど世界各国へ運ばれるようになったと考えられています。ですが、インドとインドネシア(ジャワ)の交易は、それよりもかなり前からあったとされています。インドネシア特産の香料と取引され、インド更紗がインドネシアの島々に渡り、儀式用の布などとして使われてきた形跡が残されているようです。

ジャワ島で受け継がれたジャワ更紗は、実は「バティック」という名で知られています。「ジャワ更紗」とは、日本にもたらされた後に呼ばれた名称です。
    
バティックとは、”ろうけつ染め”という染色手法のことで、染めずに残したい部分に、液状のロウを塗布することで模様を作り出す方法です。”蝋防染(ろうぼうせん)”という、”ロウ”を塗って”染”まらないように”防ぐ”の技法の一つです。ロウが冷めてできた亀裂に染料が染み込んで作り出す表情も、バティック特有の趣とされています。

 

元々は王侯貴族の女性たちの嗜みだった

ジャワ更紗は、王侯貴族の女性たちの嗜みとして発達し、極められたものが現在のジャワ更紗につながっていると考えられています。腰布や胴巻布、肩掛けなどの日用使いのほか、男性が正装時に着用する頭巾、祭礼の際の壁飾りなどとして用いられるようになったとされています。用途に応じて形式や模様構成もまた異なるようでした。

 

ジャワ更紗の技法と生地の変遷

ジャワ更紗の染め方については先に少し触れましたが、ここではジャワ更紗最大の特徴ともいえる染色技法について深掘りしたいと思います。

 

ロウがジャワ更紗の要

ジャワ更紗の主な手法は、熱して溶かしたロウを染色したくない部分に塗って模様を作り出す”ろうけつ染め”ということは、先にお話ししたとおりです。ところが、他の国ではロウを主とした染め方をしないし、場合によっては全く使わないこともあるようです。それに対して、ジャワ更紗の主役はロウといっても過言ではないほど、ジャワ更紗ではロウが重要な役目を果たします。

 

チャンチンかチャップを用いた更紗が主流

ジャワ更紗は、技法により主に2種類に分けられます。

一つ目は、「チャンチン」というパイプ形の道具を用いてロウを塗布する手描きのものです。銅製の壺にロウを入れ、竹で作った細い管の先からロウを注ぎ込んで模様を描きます。

二つ目は、「チャップ」と呼ばれる、こちらも銅製の型を用いる型染めのものです。チャンチンで描く更紗は一枚を仕上げるのに数ヶ月を要することもあるほど非常に時間がかかるため、どうしても高価になりました。そこで、量産を目的として登場したのがチャップです。チャップの登場で、ジャワ更紗は広く一般庶民の手にも渡るようになったと考えられています。

染色布の両面にロウを塗布する場合があるということも、ジャワ更紗の特筆すべきところとされています。他の国の更紗も、技法は異なるものの、それぞれに精巧な作品であることに間違いはありません。しかし、表裏に全く同じようにロウを置き染め上げるジャワ更紗の技法は、非常に高度な技術力がないと実現できず、精緻を極めたレベルの高い更紗と言うことができるのではないでしょうか。

 

時代の変化に伴い変化したジャワ更紗の生地

ジャワ更紗が作り出され始めた当時の素材は、ジャワ現地やインドで作られた手紡ぎや手織りの木綿だったとされています。しかし19世紀頃になると、イギリスなどからもたらされた「キャンブリック」という薄手の木綿布が主流になったと考えられています。これは機械紡績糸を動力織機で織ったもので、当時マンチェスター等で生産されていました。ヨーロッパの産業革命は、遠くジャワにも大きな影響を与えたのです。

キャンブリックはとても細い糸で緻密に織られている素材です。表面が滑らかなので、手描きでロウを置いていくジャワ更紗には相性の良かったものと想像できます。

 

ジャワ更紗の模様

(写真出典:写真AC)

ジャワ更紗は、同じジャワ島内でも地域によって模様や色彩に違いがあります。極めて多様な模様があることもジャワ更紗の大きな特徴の一つです。この項では、ジャワ更紗の模様についてお伝えしていきたいと思います。

 

地域により模様や色彩は千差万別

ジャワ更紗は多種多様ですが、その特徴は主にジャワ島の北部と中部で大別することができるといわれています。

北部で発展したジャワ更紗には、魚、海老、蟹などの海に関連した模様のものも多く見られます。それは、製作の中心が海岸エリアの港町だったためです。また、19世紀中頃には中国人やアラブ人、オランダ人などが多く住みつくようになり、各国の文化背景が反映されたジャワ更紗が作られるようになったとされています。

動物や花柄の更紗も多く、他の国の影響を受けた比較的色彩豊かなものが多いのが、北部で作られたジャワ更紗の特徴です。

一方、ジョグジャカルタやソロなど、中部の内陸部で発展したジャワ更紗の模様は、インドの影響を大きく受けています。霊鳥ガルーダの翼(ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の乗り物)や、竜、寺院などインドからもたらされた宗教に由来するモチーフや、幾何学模様、格子、斜線などが見受けられます。それらのあらゆる模様に、ジャワの価値観や思想が込められていたと考えられています。

北部地域では赤色と藍色を主軸に、多色使いの更紗が多く作られました。それに対して、中部はソガと呼ばれる茶系統の染料が用いられたため、北部のジャワ更紗に比べると落ち着いた風合いのものがよく見られます。

 

西欧風のカイン・カンパニー

ジャワ更紗には「カイン・カンパニー」と呼ばれる西欧風モチーフのものがあります。鉄砲を担いだ兵隊は、カイン・カンパニーの典型的なモチーフの一つです。その他、船や花、動物などが多く見られます。

カイン・カンパニーが生まれた経緯についてお話しすると、長く続いたオランダ東インド会社や、オランダ政府による支配が関係しています。
世界初の株式会社であるオランダ東インド会社が、1619年にジャワ島のバタビアに、アジアにおける本拠を築きました。オランダ東インド会社は東南アジアの交易を掌握し、その後、事実上インドネシアを支配しました。つまり、カンパニーとはオランダ東インド会社のことです。
1798年にオランダ東インド会社が解体され、オランダ政府の直接支配によりインドネシアがオランダの植民地になると、更紗の模様にも影響を与えるようになったとされています。

 

禁制文様もあったジャワ更紗

一般に、20世紀前半までに類型化された伝統柄には一つ一つに名称があり、意味付けがされているといわれています。
例を少し挙げますと、「シド・ムクティ」という名称には「幸福で満ち足りた生活の持続」という意味があります。また、「ウダン・リリス」という名称は「小雨」という意味です。ただ、同じ名称でもそれが示す模様が各地で異なることもあるようです。

あらゆる模様が存在するジャワ更紗ですが、以前は王族や貴族しか身に着けることを許されなかったという禁制模様もありました。例えば、ジョグジャカルタに伝わり、ジャワ哲学を深く象徴したという「パラン」も、禁制模様の一つです。格式高い王宮の禁制模様には、ジャワの価値観が特に反映されていたと考えられます。また、禁制模様を定めることで、王宮と一般庶民との間に明確な線を引いたという意味もあるのでしょう。
しかし、20世紀になると近代化に伴い禁制模様も廃止されていきました。

 

ジャワ更紗はインドネシアの誇り

(写真出典:写真AC)

最後に、現代におけるジャワ更紗の存在についてお伝えしたいと思います。ジャワ更紗は決して過去のものではなく、現役で使われ、愛され続けている逸品なのです。

 

世界無形文化遺産に認定

ジャワ更紗はバティックの代名詞ですが、バティックは2009年に世界無形文化遺産に認定され、名実ともに世界に認められました。

オランダの支配や、第二次世界大戦時には日本にも占領されたインドネシアですが、独立を果たすとインドネシア政府はナショナル・アイデンティティ確立の一つとして、新しいバティックの創作に力を入れるようになったようです。格式高い伝統工芸品としてではなく、誰もが気軽に着用できるように安価なプリントのバティックを流通させるなど、国を挙げてバティックの浸透に努めたようです。

その後も、バティックの研究施設が設立されたり、全国の学校や公務員の制服として着用することを義務付けたりなど、広く国民の生活に根付くような文化政策が行われました。
2009年に世界無形文化遺産に認定された後はさらに拍車がかかり、インドネシア国内では以前よりもバティック着用が目立つようになり、フォーマルな場だけでなく日常的な場面でもよく見られるようになってきたようです。

王宮から生まれ、本来はジャワ族特有の伝統文化だったバティックでしたが、現在ではインドネシア全体の文化として認知されています。

 

今なお発展し続けるジャワ更紗

国の政策に依らずとも、ずっとジャワ更紗を着用してきた女性たちもいました。その人たちにとってジャワ更紗は伝統工芸品ではなく、普段着と同じです。

一方、インドネシアの若い世代は西欧の文化を取り入れつつジャワ更紗をあらゆる方法で取り入れ、ファッションの一つとして楽しんでいるようです。儀式や公的な場のみならず、アクセサリーなど気軽に身につけられるアイテムもたくさん生まれています。

日本国内のアジア雑貨店でもバティックはよく取り扱われています。気になる方は小さなものからでも取り入れてみてはいかがでしょうか。

 

【更紗に関する他の記事】

 

【参考文献】

  • 田中敦子(2015)『更紗 美しいテキスタイルデザインとその染色技法』誠文堂新光社.
  • 柏木希介(1996)『歴史的にみた染織の美と技術ー染織文化財に関する八章ー』丸善株式会社.
  • 丸山伸彦・道明三保子監修(2012)『すぐわかる[産地別]染め・織りの見分け方【改訂版】』株式会社東京美術.
  • 文化学園服飾博物館(2017)『世界の服飾文様図鑑』株式会社河出書房新社.
  • 熊谷博人(2009)『和更紗文様図譜』株式会社クレオ.
  • 大沼淳(1999)『楽しい古裂・更紗』文化出版局.
  • 伊藤ふさ美・小笠原小枝(1999)『ジャワ更紗ーいまに生きる伝統ー』
2021-03-20 | Posted in | Comments Closed