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更紗の模様をご紹介。日本和更紗と海外とで異なる趣

更紗は、日本でも古来より着物や祭事物など、さまざまな用途に用いられ愛されてきました。その発祥はインドと伝えられていますが、伝播した国や地域で愛される中で、趣の異なる更紗が生まれ、派生していきました。この記事では、更紗についてあまり詳しくない方にもわかりやすく、更紗の成り立ちと、日本を含め、世界各地の更紗模様の特徴を紹介していきます。

 

更紗模様とはどのような模様か

更紗に描かれている模様のモチーフは、鳥獣・人物・草花・幾何学模様など、実に多種多様なものが存在しています。16世紀から17世紀にかけて、南蛮船によって日本に持ち込まれた木綿布の中には、空想上の動物が模様として染められたものもあったといわれています。

世界各地で独自の発展を遂げた更紗ですが、我が国でも、渡来品であった更紗が日常に溶け込み、土着文化に揉まれるうちに、職人によるオリジナルの更紗模様が生み出されていきました。更紗模様と一口に言いますが、実はその中身は各地で発展したものによって、全く別物ともいえる派生をしています。更紗模様とは、「更紗に施される文様」であることに間違いはありませんが、それ以上のはっきりとした定義はないのです。
ですので、ここでは”更紗模様とは、異国情緒に富んだ、色鮮やかな文様染め柄である”という、定義としてはざっくりとしていますが、そのつもりでお話しさせていただくことにします。

 

更紗とは何か。更紗模様の特徴と歴史を解説

異国情緒あふれる文様が施された木綿布

では、そもそも更紗とは一体どういうもののことを指すのでしょうか。漠然としたイメージは持っていても、詳しいことは分からないという人が多いかもしれませんね。
日本では、江戸時代には「さらさ」に佐羅紗、皿紗、佐羅佐、紗羅染(しゃむろぞめ)などという漢字が当てはめられていましたが、その語源を辿ると、ポルトガル語で木綿を意味する「saraca」、インドで更紗を積んで出港していた地名「surat(スラト)」、インドの言葉で”極上の布”を意味する「sarasso,sarasses(サラッソ)」など、いくつもの説があります。
「手描きや木版、蠟防染(ろうぼうせん)(注)などの手法を用いて文様が施された色鮮やかな木綿の布」というのが更紗のおおよその定義ですが、染め方はさまざまで、技法や顔料も多岐にわたります。先にお話しした更紗模様と同じく、やはりここにもはっきりとした定義は存在しないといえるでしょう。

 

生命力あふれる色鮮やかな更紗

更紗の発祥は古く、インドでは紀元前3世紀頃から手染めの木綿布が作られており、王族から庶民まで幅広く使われていたといわれています。特徴的なのはその鮮やかな赤色で、インドの特産である茜の根を用いた染液は、色鮮やかで深みのある赤色を作り出しました。

インド更紗は、その力強い文様や生命力の象徴とされる色鮮やかな赤色から、長寿祈願や家族繁栄を願うために古くから愛されてきました。

16世紀の大航海時代の幕開けとともに、インド更紗の技術は全世界へ広がりました。この頃は、まだどの国でもインド更紗のような緻密な部分染めは難しかったと考えられています。そこに、インド更紗が技術とともに持ち込まれたことで、世界の染色文化は大きな転換期を迎えることになります。

 

更紗の歴史ー日本への伝来

日本には更紗はポルトガル船やオランダ船によって持ち込まれたといわれています。まず長崎港へインド更紗が持ち込まれ、江戸時代になると徳川家への献上物や京都の祇園祭の胴掛けにも使われていました。これまでになかった色鮮やかで印象的な布は、当時の人たちに大きな衝撃を与えたことでしょう。
当初、非常に高級で上流階級の嗜好品でしかなかった更紗も、礼装用や儀礼用の布などのハレの日の品として、茶道具の一つとして、和服に合わせたい巾着として、はたまた優雅なテーブルマットとしてなど、次第に庶民へと広がり、現在まで愛されるようになりました。

(注)蠟防染(ろうぼうせん):染色する際に、糸を伝って意図しないところに色が染まらないように蠟(ろう)を塗って染料をせき止めること。

 

更紗の模様は国によって大きく異なる

日本の更紗模様、代表的な4種類を紹介

16世紀から17世紀にかけてポルトガルやオランダから日本に持ち込まれた更紗。いわゆる「古渡り更紗」は、先に申し上げたとおり、献上品のような扱いでとても庶民の手の届く品ではありませんでした。

そこで、生命力ある草花や動物が描かれ、鮮烈な赤色を主体とする豪華絢爛な、異国情緒あふれる文様を取り入れつつ、日本独自の素朴かつ美しい模様を織り交ぜた、新たな更紗文様が生み出されました。これを「和更紗」と呼びます。この和更紗が発展した背景には、中国から綿の種が入り、日本においても急速に綿作が広がったことも大きいかもしれません。
染め方も手描きや木版に加え、日本独自の手法である伊勢型紙(注1)などを用いた「型染め」も登場しました。

和更紗に代表される物として、京更紗、江戸更紗、鍋島更紗、天草更紗などが挙げられます。

 

京更紗

(写真引用:呂藝のブログ

染め物の中心地であった京都でも更紗が作られました。京都で作られた更紗を一般に「京更紗」と呼びます。「京更紗」は曲線が伸びやかで鋭い文様が多く描かれています。また、墨線を多く使用しているため、輪郭線がシャープに描かれているのが特徴です。「京更紗」の中でも水質の良い堀川水系の周辺で作られた更紗を特に「堀川更紗」と呼びます。

同時期、大阪の堺でも更紗が生産されていました。堺港から輸送された更紗を「堺更紗」呼びます。初期の「京更紗」と「堺更紗」は細かな柄が多いなど類似している部分が多く、判断基準がいまだに明確ではない部分が多いようですが、京更紗に比べると、堺更紗の方が異国雰囲気が強く派手目の文様が多いように感じられます。

 

江戸更紗

江戸時代の中期になると江戸でも更紗が作られ始めました。江戸更紗の特徴は複数の型と色を用いるところで、比較的簡素な柄でも20〜30枚の型、30色以上も使うこともある繊細な色の重なりが魅力的です。文様には草花、鳥獣、人物が描かれることが多く、異国感ある風合いに日本らしい美意識が加わって、独自の更紗が発展していきました。
江戸更紗については別記事「江戸更紗の魅力とはー日本人の美意識と職人技が生んだ美しき伝統工芸品」でご紹介しているので、こちらも読んでみていただければと思います。

 

鍋島更紗

現在の佐賀のあたりにあった、鍋島藩の庇護のもと発達した鍋島更紗は、木版と型紙のハイブリッドで染められた、シャープな輪郭線が特徴の非常に格式高いとされる更紗です。その複雑な染色方法から、当時から他の和更紗とは一線を画していたといわれています。明治頃にいったん消滅しましたが、昭和40年代に技法が復活しました。

 

天草更紗

長崎の出島に伝来した更紗の技術を天草の職人たちが吸収し、生産されるようになったものが天草更紗です。伊勢型紙を用いて染められ、貴族や武士などの上流階級というよりも風呂敷や夜着、布団地など主に日用品として使われました。

 

海外の更紗模様
インド更紗(更紗の発祥地)

更紗の発祥地であるインドの更紗が革新的だった理由は、木綿の栽培技術をいち早く獲得しただけでなく、これまで難しいとされていた木綿への赤色の染色を見事に実現させたところにあります。

染色前にまずミロバラン(和名はカリロク)というインド原産の樹木の実から液を作り、下染めをします。すると、ミロバランに含まれるタンニンという成分によって、鮮やかな色の染色が難しいとされる木綿のような植物繊維が、よく染まるようになります。

染料にはインドの特産である茜の根を用いました。色は化学反応を利用して表現します。赤色にしたいところには明礬(みょうばん)液を、黒色にしたいところには鉄塩を、紫色にしたいところには混合液を塗り、その後で染料に浸すことで、一度に何色もの色を染めることができました。さらに蠟伏せ(注2)の後で藍色に染め、そこにミロバランを重ねると緑にも染色することができました。
文様は手描きや木製ブロック(版木)で描かれ、力強くも手仕事の温もりが感じられる作品が多く見受けられます。

また、インド更紗の生地には絹のように細い糸を使用した良質な「絹手更紗」と、太い糸で紡がれた厚手の「鬼更紗」があります。日本では「鬼更紗」の質感が茶人などの風流人に愛され、茶道具の仕覆や掛け軸の表具などに仕立てられ、生活の中でインド更紗が身近な物として使われてきました。

 

ペルシャ更紗

イスラム教の伝播に伴ってインドはペルシャとの交流も盛んになりました。ペルシャから職人がインドへ渡って技術を習得すると、ペルシャでもインド更紗と同様の技法を用いた更紗が生産されるようになりました。花唐草模様や聖樹文様、幾何学模様などのアラベスク文様が施されたものが多いペルシャ更紗は、偶像崇拝を禁止したイスラム教国家ならではの更紗です。

 

シャム更紗(タイ)

現在のタイ王国であるシャムで発展したシャム更紗は、宝珠形、火炎形、菩薩(ぼさつ)形など仏教に関する文様が多く見られます。手描きの細い線で表現された繊細な文様が特徴的です。

 

ジャワ更紗「バティック」

インドネシアで発展したジャワ更紗は、通称「バティック」といいます。蠟防染というインドネシア独特の技法で作られていきました。インドネシア国内でも地域により文様に特色があり、中部では茶褐色と藍を主体とした抽象的なパターン文様が、北部では中国やヨーロッパの影響を受けた色彩豊かで鮮やかな、動物や花柄の更紗が多く見られます。

 

ヨーロッパ更紗


(写真引用:古裂古美術 蓮

スイス、フランス、オランダ、イギリスなどのヨーロッパには東インド会社経由で各国にインド更紗が伝わりました。産業革命が起こるとインド更紗の木製ブロックによる高い技術に替わって銅板による機械染めが開発され、色数も多く繊細さに長けた文様が生み出されるようになったといわれています。次第に、それぞれの国の特色を生かし、立体感や奥行きを感じられる写実的なプリント柄へと変化していきました。

(注1)伊勢型紙:友禅、浴衣などの着物に柄を染めるために使う道具のこと。型紙に彫刻刀で文様や図柄を掘り抜いたもの。1000年以上の歴史を持つ伝統工芸品。
(注2)蠟伏せ:溶かした蠟を文様に塗って、その部分が染色されないようにすること。

 

更紗模様とは、異国情緒のある染め柄。染められた国・地域によって趣が大きく異なる

更紗は、それまでになかった、丈夫で洗濯にも耐える色鮮やかな文様染めとして、世界中に新しい風を吹き込みました。異国情緒に富んだ、一見大胆ながらも細密な更紗は、伝承された国や地域によって趣を大きく替え、現代まで愛され使い続けられています。染色技法も文様もさまざまというところが、更紗の奥深さといえるでしょう。

 

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【参考サイト】

 

【参考文献】

  • 熊谷博人編著(2009)『和更紗文様図譜』株式会社クレオ.
  • 大沼淳発行(1999)『楽しい古裂・更紗』文化出版局.
2021-03-20 | Posted in | Comments Closed