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インド更紗とはどのような更紗か。技法や特徴などの基本情報をお伝えします

インドで生まれた更紗は、壁掛けや敷物、王族や貴族の衣服、日本においては仕覆や茶道具としてなど、今日に至るまで幅広い用途で使われ、人々に愛されてきました。この記事では、更紗の発端であるインド更紗に焦点を当てて、インド更紗の基本情報や、日本との関わりをお伝えします。

 

インド更紗の起源と特徴について

(梶古美術で取扱いのあるインド更紗の一部)

更紗とは一般的に、鮮やかな色彩で繊細な模様が描かれた、木綿の染色布のことをいいます。その起源は古く、紀元前3世紀頃にはインドで木綿の栽培および染織が始められていたといわれています。インドで生まれたインド更紗は、重要な交易品として扱われ、全世界に広がっていきました。

更紗の模様については別記事の「更紗の模様をご紹介。日本和更紗と海外とで異なる趣」で詳しくご紹介しているので、ご参照いただければと思います。

 

インド更紗とは、色彩豊かに染色した異国情緒あふれる木綿布のこと

インド更紗の特徴といえば、エキゾチックで鮮やかな色合いで模様が描かれていることが挙げられるでしょう。「更紗」と聞けば、赤色を基調とした染色布を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。実は、その特徴的な赤色を出す染色方法こそが、インド更紗がもたらした大きな功績なのです。木綿は本来、植物性の染料が染まりにくいという性質を持っています。しかし、インドでは高度な化学反応を利用して、赤色や黄色などの鮮やかな色の染色を見事に実現させました。

インド更紗の染料に用いたのは、インド特産である茜の根です。ですが、茜の根の染料をそのまま木綿布に染色しても、発色・定着させることは困難です。そこでインド更紗はまず、ミロバラン(和名はカリロク)というインド原産の樹木の実から作り出した液で下染めをします。そして、次に染色したい色に合わせて媒染剤を塗ります。媒染剤とは、化学反応により染料を発色させ、定着させる役割を持つもののことです。茜の場合は、染色前に明礬(みょうばん)液を塗るとその部分は赤色に、鉄塩を用いると黒色に、混合液を塗ると紫色になるという化学反応が起こります。インド更紗は、このような化学反応を利用して、様々な色を一度に染めることを可能にしました。

この技術は当時の世界にとっては革新的で、これまでになかった素材・色合いを持つ木綿布は、世界中に鮮烈な衝撃を与え、魅了していったと考えられています。

 

インド更紗に描かれる模様の特徴

(梶古美術で取扱いのあるインド更紗の一部)

インド更紗の象徴ともいえる赤色は生命力を表しているとされ、長寿祈願や家族繁栄の願いが込められたといわれています。そのように力強さを感じるインド更紗ですが、一方でその模様は非常に繊細で、美しく描かれています。

更紗に描かれる模様は、草木や花、鳥獣、幾何学模様、動物、神々など様々ですが、インド更紗には絵画的に描かれたものが多く存在するようです。一枚の布の中に物語性を感じさせる更紗も多数あります。

竹に糸を巻き、ペンのように用いて図柄を施す技法を「カラムカリ」といいますが、初期のインド更紗は手描きで描かれたものも多くありました。ヒンズー教の神々や神話などが描かれた更紗は、寺院などの装飾に用いられました。

インド更紗は、カラムカリのほか、木を彫ってスタンプのような型を作り、布に擦り付けて模様を描く「木版捺染」という技法があります。こちらの技法では連続模様を描くことができるのが特徴です。この技法により、可愛らしい小花模様が一面に散りばめられた更紗がたくさん作られ、特にインド国内の権力者や富裕層に愛用されたといわれています。また、交易用としても人気で、日本に輸入された後に独自に発展した和更紗の中にもその模様を見ることができます。

 

世界中に広がっていったインド更紗

(梶古美術で取扱いのあるインド更紗の一部)

インド更紗が世界的に知られるようになったのは、16世紀頃の大航海時代の幕開けがきっかけとされています。交易品の一つとして更紗が運ばれるようになり、まずはヨーロッパで人気を博すようになりました。それまで木綿は、ヨーロッパではあまり知られていなかったと考えられています。そのため木綿素材の目新しさと、色鮮やかに施された模様に、ヨーロッパの人たちは魅了されていったのでしょう。そのほか、インド更紗はタイやインドネシア、日本などにももたらされていきました。

こうして、古くから重要な交易品として用いられてきたインド更紗は、次第に輸出先の国々の嗜好に応じた模様が生まれていくようになりました。そして、伝来したそれぞれの国の中で、独自の更紗模様が発展していきました。全世界に広がっていったインド生まれの更紗は、「インド国内向け更紗」「ヨーロッパ向け更紗」「東南アジア向け更紗」「日本向け更紗」の4種類に大別されることになります。

 

日本におけるインド更紗の発展

(梶古美術で取扱いのあるインド更紗の一部)

日本への更紗の渡来は、ポルトガルやオランダからの貿易船が始まりだといわれています。まず長崎にもたらされたインド更紗は、日本独自の発展を伴いながら全国各地でオリジナルの更紗が生まれていくようになりました。

 

まず、数寄者に愛されたインド更紗

色鮮やかで異国情緒ある更紗は新鮮で、当時の日本人の心をすっかり虜にしたことでしょう。日本にもたらされた更紗は、茶道を嗜む大名など、まずは数寄者や豪商の間で愛好されたといわれています。仕覆や帛紗などの茶道具として加工されたり、武具の一部や客人用の夜具などとしても用いられるようになりました。

 

日本人好みの模様に発展

インドで生まれ、諸外国から日本にもたらされた更紗のことを一般に「古渡り更紗」と呼びます。小花模様など、インド更紗には日本人にも親しみやすい模様が元々多くありましたが、次第に日本人好みの模様が作られるようになっていきました。扇手や紋尽くしなどは、日本でしか発見されていない独自の模様です。

しかし、古渡り更紗は非常に高級品で、一般人の手に届くものではありませんでした。そこで、日本各地で古渡り更紗を模した更紗が作られるようになっていきました。それら日本原産の更紗を総称して「和更紗」と呼びます。

和更紗の産地としては、長崎、京都、堺、江戸、鍋島、天草、彦根などが有名です。当初は模様を手描きして生産されていましたが、型を用いて摺る技法が生まれ、量産が可能になっていきました。また、同時期に中国から綿の種を輸入するようになり、日本においても綿作が盛んになっていきました。このことが、和更紗の発展に拍車をかけたと考えてもいいかもしれません。このようにして日本独自の更紗が発展していき、一般庶民も日常的に使えるようになっていきました。

 

現代まで愛され続けるインド更紗

日本で独自の進化を遂げた更紗は、そのルーツがインドにあるとは想像もできないくらい、私たちの生活に馴染んでいます。日本では着物としてはもちろん、バッグやお財布といった身に着ける小物など、ファッションアイテムとしても好んで使われています。歴史と風情ある更紗ですが、肩張ることなく日常生活に取り入れることができる気軽さも、現代まで親しまれる所以といえるのではないでしょうか。

 

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【参考サイト】

 

【参考文献】

  • 田中敦子(2015)『更紗 美しいテキスタイルデザインとその染色技法』誠文堂新光社.
  • 柏木希介(1996)『歴史的にみた染織の美と技術ー染織文化財に関する八章ー』丸善株式会社.
  • 丸山伸彦・道明三保子監修(2012)『すぐわかる[産地別]染め・織りの見分け方【改訂版】』株式会社東京美術.
  • 文化学園服飾博物館(2017)『世界の服飾文様図鑑』株式会社河出書房新社.
  • 熊谷博人(2009)『和更紗文様図譜』株式会社クレオ.
  • 大沼淳(1999)『楽しい古裂・更紗』文化出版局.
2021-03-20 | Posted in | Comments Closed